シシドさん、彼は俺のことをそう呼んでいた。
シシドとは彼の国の言葉で、慈愛を意味するのだと、優しい表情で教えてくれた。彼の蒼い瞳に映る自分の姿が、ひどく印象に残っている。彼は、異邦人であった。遠い西の国から、この国まで、沢山の船を乗り継いでやってきたらしい。理由は知らぬ。大人たちは影で、彼は国で重罪を犯した為に軍から逃げているらしい、とかこの国を偵察しに来ているスパイだ、とか様々な憶測を飛び交わしていた。彼はそんな人ではない、と庇う人もいた。しかし、彼らがどんなに想像しようと、彼の素性を知る人はおらず、謎の異人として、皆から距離をおかれていた。だから、当時の彼のことを最も良く知っているのは俺だけではないのかと、思う。

彼は俺の初恋の人だ。
初夏の香りが吹き始めた頃、彼はこの町へやって来た。港に面するここは、色々な国から様々な貨物が船で届く。珍しい香料や、甘い甘いお菓子。大きな外国の船を見ようと、俺たちはしばしば港へ向かった。偶に、形が崩れてしまったりして不良品となったお菓子を船を見物にきた俺たちに分けてくれる事もあり、そんな荷物を積んできた船がやってきたという情報が入ると、俺は港へ走った。
その日も、隣の席のジローが「今日の三時にコルディからの船が来るって兄ちゃんが言ってた。リョウ、一緒に行こうよ」と先生にばれない様に囁いてきた為、俺は口元を緩ませて勢いよく頷いた。授業が終わると荷物をロッカーに突っ込んで、俺達は港へ走った。石畳の細い路地を次々に曲がって海へと向かう。途中、ごみ箱に勢いよくぶつかってナナコさん家で飼っている白い猫を驚かせてしまったが振り返ることなく、必死で足を動かした。潮の匂いが近づいてくる。港に着くと、既に船は荷降ろしを始めており、男たちの野太い声があたりに響いていた。

「リョウ、見て見て、あれじゃねー?すっげー」

ジローに肩をどんどんと叩かれ、痛い、と抗議をするが、ジローの目線は海をまっすぐと見据えていた。俺もしぶしぶとそちらに視線を向けると、そこには大きな船があった。港町に住むリョウは今まで様々な船を見ていた。それこそ子供一人であやつれる小さな船から、大の大人が数人がかりで動かす大きな船まで。けれども、今、リョウの目の前にある船は、今までみたどの船よりも大きかった。船体には赤や緑のカラフルで派手な装飾が施されており、見たことのない不思議な模様が所狭しと描かれていた。
はじめて見る珍しい異国の船を舐める様に端から端まで眺めていると、ふと、一人の青年が視界に入った。
リョウの知る船乗りの多くは、肌が焼け、太い腕を持ち、体のあちこちに傷痕がある者ばかりだった。しかし彼は、それらに当てはまることはなく、白い肌と太陽にあたって銀色の髪がきらきらと輝いていた。今思えば、その時既に、俺は彼に心を奪われていたのかもしれない。遠い昔に父親が枕元で話してくれた物語に出てくる、海の精霊の姿によく似ていた。

*    *    *

その首飾りは、チョウタロウが着けるにしては些か派手で、女性用に造られている様だった。それを何故、彼が持っているのかと尋ねれば、チョウタロウは、切なそうに目を細めて、呟いた。

「オネエサンの、です」

チョウタロウに姉がいたのか、とかチョウタロウが此処にいるなら姉さんは今どうしているのか、とか聞きたいことは山程あったが、優しい手つきで、首飾りに触れる姿を見て、俺は何かを悟った。チョウタロウは言っていた。「オレはひとりです」と。

「優しいひと、でした」
「チョウタロウ」
「この国が、すきでした」

それっきり、俺がチョウタロウの姉について聞くことも、触れることもなかった。いつも笑顔なチョウタロウの表情が悲しみに歪むことに、俺は耐えられなかった。

(ここまで考えたけど挫折)
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