「お、お邪魔します…」
「なに固くなってんだよ、ほら、俺の部屋二階上がって一番奥の部屋だから、荷物持って先いっとけよ」

俺、何か飲み物持ってくから、と言い残し宍戸さんは扉の奥へと消えた。残された俺はといえば、その場でじっとしている訳にもいかず、宍戸さんのテニスバッグと学校指定の鞄を手に持ちゆっくりと階段に足をかけた。

(二階の一番奥の部屋、って言ってたよな)

冷たい廊下を進んで行けば、“りょうのへや“とクレヨンで書きなぐった痕が残る扉があった。そういえば、幼い頃に落書きをする癖があったと前に話していた気がする。廊下の突き当たりにあるこの部屋が、恐らく宍戸さんの部屋なのだろう。ふぅ、と大きく深呼吸をして、ガチャリとドアノブを捻った。
宍戸さんの部屋は、思っていたよりもシンプルで綺麗だった。俺が来るから片づけたのかもしれない。壁には宍戸さんが好きなテニスプレイヤーのポスターが貼ってあり、本棚には月刊プロテニスが立て掛けられている。海外のマイナーなバンドのCDが棚にあったり、いかにも宍戸さんらしい部屋だ、そう部屋の中を眺めていると、ふ、と宍戸さんの部屋らしくないものを見つけた。それは、宍戸さんのベッドの上をどかりと陣取り、じっとこちらを見据えている。まさか、宍戸さんの部屋に、こんな強敵がいたなんて、思いもしなかった。
視線が絡まり、時が止まった様な錯覚を受ける。

「おー長太郎待たせたな…って、何してんだよ」

お盆に乗ったジュースとお菓子を片手に持ち、宍戸さんは現われた。俺が荷物も置かずに立っている事に戸惑っているらしく、じっと俺の顔を見つめてくる。けれども、俺はそれどころではなく、この胸の苛立ちをぶつける様に宍戸さんを問いつめる。

「宍戸さん…あいつ、誰ですか」

宍戸さんのベッドの上を陣取るそれ、を指させば、宍戸さんはゆっくりと視線を移し、さぁっと顔色を変えた。まるで浮気現場を見つかった時の様に、首元を真赤にさせて必至に言い訳を考えている様だ。

「宍戸さん…」
「ち、違う!長太郎!これは!」
「何が違うんですか」
「それは…」

ぎゅう、と唇を噛みしめ、宍戸さんは俯く。眼はうるうると潤い、今にも泣き出しそうだ。嗚呼、少しいじめすぎたかもしれない。宍戸さんのそんな姿を見て、俺は少し反省した。

「宍戸さん」
「な、何だよ」
「大丈夫、誰にも言いませんから」
「本当かよ」
「俺が宍戸さんに嘘ついた事ってありましたっけ?」

俺の問いかけに、宍戸さんはふるふると首を横に振る。俺と宍戸さんの、二人だけの秘密、そう言えば宍戸さんはパッと笑顔になり、慌ててしかめっ面をつくる。そんな様子が可愛くて、俺は思わず声を出して笑った。

「んだよ」
「いえ、すみません。それよりも宍戸さん、その子、紹介して下さいよ」

俺がそう頼めば、少し不満そうにしつつもお盆を机の上に置き、ゆっくりとそれの元へ近づき、ベッドに腰を下ろし、優しい手つきで抱きしめた。そんな姿に胸の奥がざわりと苛立つが、俺は表情を変えずに、宍戸さんの隣へ座る。

「ベティだよ」

宍戸さんはそう言いながら、それ、否、大きなクマのぬいぐるみを俺に見せる。くりくりした大きな黒い眼は愛らしく、胸元の赤いリボンが特徴的だ。

「へぇ、このクマ、ベティっていうんですか」
「ばっか、クマじゃなくてクマさんだよ」

そう言い睨みつけてくる宍戸さんに、慌ててすみません、と謝るが、宍戸さんにそんな事を言われるとは思っていなかった俺の心臓は、バクバクと波打っていた。そんな俺などお構いなしに、宍戸さんはベティに「失礼な奴だよなー」等と話しかけている。完全にリラックスモードに突入している。頼むからやめてくれ。しかし、そんな俺の思いは虚しく、宍戸さんは相変わらずベティに話しかけていた。

(とりあえず、意識をこっちに持ってこなくちゃ)

俺は慌てて宍戸さんの気を逸らす様な話題を探した。

「クマ…さんは、いつから此処に?」
「俺が小学校低学年の頃かな。子犬だったジョンとずっと一緒に寝てたんだけど、あいつ大きくなりすぎてさ。布団のシーツに毛がついて掃除が大変だ、って母さんも文句言うから、仕方なしに別々に寝ることになって…で、代わりに父さんがベティを連れてきたって訳」
「そ、そうなんですか」

俺の質問は、不覚にも宍戸さんがこのクマのぬいぐるみと寝ていたという情報を手に入れた。まさか、今でも一緒に寝ているのかどうか何て、聞けやしない。否、ベッドの上に置いてあるのだから、その用途は今も昔も同じかもしれない。いや、いや、まさかそんな!
ガラガラと、俺の中の宍戸さんのイメージが崩れてゆくと共に、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
因みにジョンは、宍戸さん家の愛犬で、今も元気に暮らしている。

「最初はすっげー嫌で、嫌だ嫌だって駄々こねてたんだけどさ、そんなに拒否ったら何だかベティが可哀想に思えてきて。で、試しに一緒に寝てみたら、こいつすげー良い子でさ!やばいぜ、おなかのあたりとかふかふかだし。ま、半年に一回洗濯されんのは、何か痛そうで可哀想だけど、ベティの為だからしゃーねーよな」
「そ、そうっすね…」

駄目だ。

「たまにさ、ベティも一人で可哀想だなーとか思ったりすんだけど、やっぱベティは俺のベティだからさ、他のやつに取られんのとか嫌だし、ずっと俺のベティで居て欲しいんだよな。でもそろそろ俺も一人立ちしないといけないとも思うし…どー思う?長太郎?」
「は?ええっ、えっと、いや、その」
「やっぱ、ベティにも寂しいだろうから仲間がいた方が良いかな」

それはつまり、宍戸さんの部屋にクマのぬいぐるみが増えるという事だろうか。ベティの仲間といえばクマだ。そして、ぬいぐるみだ。ああ、そうに違いない。宍戸さんは、ぬいぐるみが寂しがらない様に、新たにぬいぐるみを買う気なんだ。自分の想像の及ぶ範囲外の思考回路に、くらりと眩暈がする。いや、しっかりしろ長太郎。宍戸さんは回答を求めて、こちらを見つめているではないか。頑張れ俺。

「えっと、べ、ベティも、今まで一人だったんですし、大丈夫じゃないっすか?」
「俺もそう思ったんだけどよー、最近俺って、帰る時間遅いじゃん?だから心配でよー、どこの馬の骨ともわからぬ奴に捕まるよりか、俺が良い婿さんつれてきた方が、こいつも喜ぶし、俺も安心かなーって」

ああもうこの人は!馬鹿だ!俺が思っていたよりも馬鹿だ!
どうしてそんな幸せそうな顔をして笑っているんだ。そんな優しい手つきでぬいぐるみの頭を撫でるなんて。嗚呼、本当に。

「てか、ベティって女の子だったんすね」
「ん?あーだって、赤いリボンつけてんじゃん。それにこいつ、美人だし?」

にやりと不敵な笑みを浮かべる宍戸さんに、今後ダブルスを続けて行く事ができるか、俺は本気で不安を感じた。
因みに、その後1時間、宍戸さんによる宍戸さんのベティ自慢は続いた。


(宍戸さんがぬいぐるみ持って寝てたら可愛いよな、と妄想してたらここまで発展した。 宍戸さんが電波!)
inserted by FC2 system