首筋を伝う滴に、思わず目を奪われる。首のラインに沿いながら進み、滴はやがて見えない服の中へと滑り込む。荒い息に、寄せられた眉、宍戸さんを形作る、それらのパーツ全てが、とても愛おしくて、欲情する。宍戸さんの口が、その甘い声で俺の名前を紡げば、蕩けて崩れてしまいそうになる。
けれども、良い後輩である俺は、爽やかな笑みを浮かべて返事をする。宍戸さんが命令すれば、素直に頷き、後を歩く。こんな忠義な振る舞いをする俺が、背後から虎視眈々とモノにする機会を伺っているなど、宍戸さんは考えもしないだろう。疑いを知らない綺麗な笑みを浮かべて、今日もまた、俺の名前を呼ぶ。その、真っ白で無垢な姿が愛おしくて堪らないのだ。
俺は時々、全てを壊したくなる衝動に駆られる。宍戸さんを押し倒し、後輩と先輩という壁をぶち壊せば、ダブルスのパートナーという地位を無くせば、一体どの様な反応を示すだろうか。泣く?怒る?拒絶する?もしかしたら、二度と話しかけてくれないかもしれない。俺達だけの問題ではなくなり、部にも迷惑をかけるかもしれない。最悪の結果だって、あるかもしれない。けれども、現状を維持しようとする自分とは別に、ひどく過激な思考を持ち、甘い言葉を囁く、悪魔の様な自分も居るのだ。それは、いつも、唐突に話しかけてくる。

「宍戸さん、有難う御座いました」
「おう。長太郎も暫く見ねー間に、上手くなったんじゃねーの?」
「そんな、宍戸さんに追いつくには、まだまだですよ」

ソファにどかりと座り、タオルで汗を拭きながら話しかけてくる宍戸さんに、苦笑を交えて答えれば、謙遜すんなよ!と明るい声が返ってくる。決して謙遜した訳ではなく、今の俺はまだ、今の宍戸さんには勿論、去年の今頃の宍戸さんにすら追いついていない。プレイスタイルが違うのだから、比べようがないのかもしれないが、テニスに対する意気込みや、勝利や正レギュラーに対する執着心といったものが、俺は劣っている、と思う。と、いうか周囲によく言われる。

「けど、まぁ、どーなるかと思ったけど、俺らの居なくなった後でも、けっこー上手くやってんじゃねーの?」
「主に日吉が頑張ってますけどね、この間なんて、後輩にアドバイスしてましたよ」
「へーぇ、若がねぇ」

珍しい事を聞いた、と宍戸さんはニヤリと笑う。恐らく、昼食時の話のネタにでもするのだろう。

「そーいや、長太郎は高校も内部か?」
「はい、その予定です。宍戸さんも、確か内部進学でしたよね」
「あぁ。っか、私立に入ったのに外部受験とかきついだろ」

俺にはテニスもあるし、と宍戸さんは綺麗な笑みを口元に浮かべた。

「高等部に行っても、テニスは続けられるんですか?」
「おう、つか、今更別のスポーツをしようったってキツいだろ」
「そうですね、宍戸さんはテニス一筋ですもんね」
「おいおい、テニス馬鹿みたいにいうなよ」
「え?違うんですか?」
「長太郎・・・・別に違わねぇけど、よ」

何か、テニスしか出来ねぇみたいだろう、と拗ねる宍戸さんはとても可愛い。けれども、そんな事を口に出来る筈もなく、不快な思いをさせてしまったらすみません、と謝罪を述べる。そうすれば、宍戸さんは、そんな事気にすんなよ、と真っ白な笑みを浮かべる。無垢な笑顔に、悪魔は囁く。

「それに、ジローも岳戸も、テニスを続けるらしいし、な」
「へぇ、良かったですね」
「まぁ、俺らは昔からの馴染みだから今更だけどな」
「幼稚舎の頃から、ですっけ?」
「あぁ、その頃からジローはよく寝る奴でさ、」

俺の知らない幼稚舎時代の話を、宍戸さんは笑顔で話す。今とは違う思考や感覚を持った宍戸さんと、ジロー先輩と向日先輩の話を聞く度に、胸がざわざわと揺れる。宍戸さんの全てを知り、得たいのに、決して手に入らないものがそこにはある事を思い知らされるからだ。
宍戸さんの話す声が、俺の頭の中を駆け巡る雑音にかき消される。過激な思考を持った悪魔が、喚き散らす。宍戸さんを、宍戸さんが欲しい。

ぷつり、と何かが切れ、ぐらりと眩暈がする。
そうして、気がついた時には、目を見開いた宍戸さんが、俺の下にいた。
宍戸さんの手首は、思っていたよりも細く、俺の手の中に易々と納まった。すっかり停止した思考とは異なり、俺の心臓はバクバクと波打っている。皮製のソファは、ひんやりと冷たい。上から眺める宍戸さんは、相変わらず綺麗だ。

「宍戸さん」

目を細め、ゆっくりと、優しい声音で名前を呼ぶ。
愛おしい、全てを壊して、手に入れたい。


明日の太陽の色を、俺はまだ知らない。



(不完全燃焼・・・)
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